A-CAP店長(初代シクロクロス最速店長)ムコ 志は空よりも高く

東京あきる野市のA-CAP(AKIRUNO-Cycling Academy Project)の店長。ロード、シクロクロス、マウンテンバイクの3種目で最上級カテゴリーで戦った経験を活かし、情報発信をしております。自称「あきる野の狼」

盟友・山川惇太朗

30代半ば過ぎても、いまだに真剣に自転車競技やってられるのは、切磋琢磨し合える仲間がいるからだと思う。

そんな仲間の中でもここ1年、特に切磋琢磨し合えたのが山川惇太朗だったと思う。
夏の間、今シーズンのシクロクロスレースでの活躍を目指し、一緒にトレーニングを重ねた盟友である。

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もともとは、10年くらい前に菅ちゃん率いる伝説のかつおクラブで一緒に練習したのが始まり。
何気に付き合い長いね。

その後、練習相手を欲していた自分が、シクロクロスの会場で会うたびに、一緒に練習しようぜと言っていたんだけど、どの辺に住んでいるかイマイチ分からず、なかなか実現しなかった。

そして、去年の6月、吉岡サイクル練習会を終えて笹仁田峠を走っていると、対向車線から惇ちゃんが走ってきた。それを見てその夜に飯能方面で練習してるなら一緒に練習しようぜとfasebookでメッセージ送ってからはほぼ毎週土曜日は一緒に練習していた。

そんな中、GPミストラルのサマーシクロクロスの時に8月末の北京のシクロクロスの話を頂き、この急きょ出てきたデカい目標に向かってモチベーション高く切磋琢磨し合った。
まあ、北京シクロクロスに向けてのアプローチとしては、あくまでロード練でフィジカルを鍛えたい自分と、テクニック面も鍛えたい惇ちゃんで少々意見が異なることも有ったが、目標に向かって切磋琢磨した日々は充実していた。
ホント、去年の夏は惇ちゃんのお陰で熱くて楽しい夏だった。
なんか、高校とか大学の時のクソ熱い中必死に走って頃みたいだったな。


そんな感じで必死に準備して迎えた北京のシクロクロスレース
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惇ちゃんはスタート位置が意外と前の方で、自分は60人中55番目と絶望的に後ろの方だった。
正直、惇ちゃんが羨ましくてすぐに追いついたるから待ってろよ!と思いながらスタート。

自分は後ろからの追い上げを狙い走っていると、後ろからかなりイイ感じでポジション上げてくるスウェーデンの選手(スタート直後の落車で出遅れたらしい)がいたので、彼をマークしながら、超ハイペースでコースを攻めて行った。
するといつも以上のハイペースにマシンが異変を起こし始め、ハンドルが下がってきてコントロールが悪くなり、それをきっかけにキャンバーに乱暴に突っ込み、前輪のタイヤがもげてしまった。
結局、トラブル対応で3回もピットに入り、致命的な遅れを喫した自分は80%ルールに引っかかり降ろされてしまった。

そしてレースを見守っていると、惇ちゃんが苦しい顔をしながらも、完走ラインで頑張っていた。
それを見て自分は必死に応援した。
夏の間一緒に、このレースのために準備してきた盟友が戦っているのを見て、自分のことのように熱くなった。

そして、無事完走した瞬間には、ドリンクを持って一目散に駆け寄って、堅い握手をした。
確か、ハグしようとしたら拒否られたような。。。
けど、自分の思いも繋いでくれたような気がして、とにかく嬉しかった。

そしてそのままシーズンイン。
最後のシーズンになると覚悟を決めて走っていた惇ちゃんは好調に見えた。もっとも、本人はまだまだ納得していなかったようだが。

そして、シクロクロス東京。あの華やかなレースは選手生活の最後を飾るにはふさわしいレースだ。
カズさんのラストランで盛り上がっていたが、惇ちゃんもここで最後のレースを終え、引退した。

振り返ってみたら、今シーズンは自分が勝ったレースもあるけど、明らかに負け越していて自分の完敗。
そのまま引退してしまったので、勝ち逃げされてしまった。リベンジ出来ないのが悔しいぜ。

そんな盟友・山川惇太朗
お国へ帰ってしまうので、もうなかなか会えないだろうけど、感謝してるぜ、ありがとう!
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