A-CAP店長(初代シクロクロス最速店長)ムコ 志は空よりも高く

東京あきる野市のA-CAP(AKIRUNO-Cycling Academy Project)の店長。ロード、シクロクロス、マウンテンバイクの3種目で最上級カテゴリーで戦った経験を活かし、情報発信をしております。自称「あきる野の狼」

中国遠征(2015 Qiansen Trophy Cyclocross)・2ndレースinハイナン(9/2)

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ここ2日は少々リゾート気分を満喫していましたが、レースはレース。
これが最後になるかも知れない海外遠征の2ndレース、ハイナン島の難コースで今持っている限りの力でしっかり走りたい。
とは言いつつ、走る前はこのコースでは完走は難しいと思っていました。だから、自分は1時間走れないかも知れないから、30分だか、40分だからで燃え尽きるくらいのペース配分で頑張ろうとも思ったりもしました。
 
そんな感じのハイナン島のレース当日、まずは朝ごはんからしっかりと。
良い意味で、1戦目を走った後はリラックス出来ているので、朝ごはんはしっかり美味しく頂く。
ハイナン島のコースはリゾートホテルの敷地内にあり、自転車で1分くらいで行けるので超楽ちん。スタート前のトイレもホテルの自室に戻ってやるほど。
 
またまた少し早めの昼食の後に12:30から試走と言うスケジュール。
午前中はのんびり過ごし日本チーム男子はばば抜きを楽しむ余裕っぷり。他の選手も2レース目だから緊張がほぐれてイイ感じ。
ちなみに、ババ抜きでは日本のエースが一番弱かった。意外な弱点発見。
 
直前試走ではボスマンスたちの後ろに付いてみたが、やはり昨日のマルコ・ビアンコと同様にコーナーはあまり無理しない様子。重機を使って新設されたこのコースは硬く締まっていてスリッピー。彼らでもデタラメなスピードでコーナー突っ込めないようだ。
しかし、この試走辺りから、メリダの松尾選手が急に体調崩し始める。
結局、帰国直後まで続くことになる体調不良で、レースは一応スタートを切るものの、すぐにリタイアし、ハイナン島滞在中はずっと食事もとれず、寝たきりだった。
マウンテンバイカーとしては、このハイナン島のテクニカルコースは楽しみだっただろうに、可哀そうだ。あと半日、体調がもってくれたらと思うと、勿体ない。本人も悔しかっただろう。
 
試走の後は女子のレース。男子はホテルが近いので一度ホテルに戻って軽く休む。この辺は楽だな。
女子のレースでは日本の2選手も頑張っていた様子。準備して会場に戻った時に、ちょうどむつみさんが最終周回に入っていくところだった。
 
 
そしていよいよ、僕ら男子の番なのだが、直前に雨が降ってきた。これには参った。何せ、スペアは持っているものの、後輪はマッドタイヤが使えないのでスリックを履いているので、実質的には使い物にはならない。まあ、南の島の雨はすぐにやむから、早くやんでくれることを祈っていた。とは言え、結果的に雨はレース中ずっと降ることになったので、このスタート直前に前輪だけでもマッドタイヤに替えておけば良かったと、あとで後悔した。

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スタート前、自然と集中できていた(写真提供:あべま氏)

 
そんな感じで雨が降り出した中、スタート。
何だかんだ言っても、走り出すとアドレナリン全開で、雨でスリップした選手をどんどん交わして前に上がって行く。どんどん転べ、前に上がってやるそう思っていた。
 
しかし。。。
コース東側にある沼を渡る橋があり、左にコーナーリングしながら突っ込む場面で、自分がスリップして転んでしまった。
やっちまった。
 
ここで歯車が狂い、スリッピーな路面になかなか対応出来なくなる。コーナーではスムーズに曲がれなくなり、脚で稼ぎたい登り区間もトルクがかけられずペースが上がらず。。。
結局、北京では後ろの方にいた選手にも抜かれ40番くらいまでポジションを下げてしまう。。。
この時はもう今日は自分の日では無いと思った。

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スリッピーな登りは助走を付けて一気に登ることが出来ず苦しい(写真提供:あべま氏)

 
しかし、諦めずに踏んでいると、だんだんスリッピー路面に対応できてきた。ひとり、また一人とパスして行くと気乗りしてきた。そりゃ、抜かれるより抜いて行く方がテンション上がる。
そして、ここから持ち直し、ペースを上げ始める。順位も20番台後半まで上がってくると、賞金も見えてきた。
 
そして、当初は半分くらいでトップの選手にラップされるんじゃないかと思っていたが、予想に反して追っ手が来ない(その方が良いんだが)
どうやら、高温多湿・照り返しまくりの日本の夏になれている僕らには、ハイナン島の気温は走り易いように感じられたが、もうすでに初秋に入っているヨーロッパから来たベルギー人はこの気温に苦戦して、あまりペースを上げられなかったようだ。ボスマンスに至っては、ゴール後に脱水症状でぶっ倒れる始末。まあ、それでも優勝する辺り化けもんなんだけど。
 
そんな事情もあり、予定外の完走も見えてきた。
 
そしてラスト3
またむつみさんがピット前で順位を教えてくれるが、26位とのこと。しかも前に25位の選手が見えている。
お~、今日もまさかの自給50ユーロ!
50ユーロ待て~!と思いながら前の選手を追いかけ、登りであっさりパス。
どうやら後ろに付けた32Tは予想外に有効だったようで、脚を残しながらしっかり登れていたようだ。
このコースの短い急坂は、ドライであれば助走を付けて一気に登れるんだけど、ドロドロになると助走が付け辛く、その上、トルクが稼げずダンシングで登るのもしんどい。だから、軽めのギアでシッティングしていた自分は後半まで良い感じで登れていた様子。

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中盤以降はツルツル路面に対応できて、だいぶリズムに乗れてきた(写真提供:あべま氏)

 
完走も、賞金も見えてきてラスト2周。テンションも上がる。
しかしここで、トップのボスマンスとシムネックがすぐ後ろまで迫ってきた。
これはヤバいとペースを上げるが、焦って2回もこけてしまう。特に2回目は右側にこけて、変速機の調子が悪くなるし、右親指を突き指してハンドルを持つのが辛くなる。
おまけにこけた時にサングラスがずれたが、直そうとした時に焦って視界に入る面を泥だらけの手でベタッと触ってしまう(普段は眉間の部分を触って直すと視界に影響がない)。これで左目が全然見えなくなってしまった。目が見えなくなったことで余計に焦り、思わずサングラスをピットじゃない所で投げ捨ててしまう。普段はサングラスはレース中に外さないので、慣れてないことが裏目に出る。
そんなこんなのバタバタで、せっかく抜いた後ろの選手に追い付かれ、26位になってしまう。
お~、50ユーロがピンチ。
 
そして最終周回に入るホームストレート
何とかトップのボスマンスに追い付かれずにラスト1周に入れるかと思った矢先、コミッセールに止められる。何が何だか分からなかったがどうやら、トップがゴールする時にスプリントするから一度脇にどかして、トップ通過後に行かせてくれると言うことだったらしい。英語出来ないから、何言っていたのか全然分からなかったが。。。
そんな感じで1位のボスマンスと2位のシムネックがゴールした後、リスタートを許可されて最終周回へ。
何と言う温情措置。感謝感謝。
 
そんなわけでまさかのハイナン島完走確定。
あとは50ユーロを取りに行くだけ。待て~50ユーロ!
 
しかし、ここでサクッと抜き去って50ユーロ取りたい所だったが、さっきの落車でハンドル握るのもやっと、コーナー全然曲がれない上に、変速機がかちゃかちゃ言っている。
残念ながら、一生懸命追いかけても、50ユーロが離れていく。無情。。。
 
そんな感じで26位。最終完走者としてフィニッシュ。
思い起こせば。北京で26人完走の26位って、独りだけ賞金出なくて美味しくないなと笑っていたが、まさか自分がその美味しくない人になってしまうとは。。。
 
さらにフィニッシュ後に投げ捨てたサングラスを探しに行ったが見つからず。そうだここは中国だった。。。
おニューのサングラスが。。。
お気に入りのオレンジレンズが。。。
 
 
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ゴール直後。指も痛いし、お気に入りのSALICEのサングラスを無くしたのも痛い。それに賞金取れなかったのも痛い(写真提供:あべま氏)


■レースの考察■
レース直前から振り出し雨がかなりくせ者だった。
急激にスリッピーになり、自分が1周目にこけた橋は、同じく1周目にボスマンスが先頭でこけていた。
このスリッピーな路面は下りだけでなく、登りもトラクションをかけにくくしてレースを厳しいものにしたが、自分は32Tを付けていたので、かなり助けられた。
トップはマシン交換しながら走っていたようで、自分も途中、マシン交換したいと思ったが、リアにスリック履かせたマシンに交換しても意味がないので、結局ワンバイクで走り切る。
ヨーロッパ勢は暑さに苦戦したらしいが、日本勢には逆にそれが援護射撃になったか。これが無かったらラップされていただろうな。ボスマンスも一度、真夏の吉見に来て暑さ対策をすべし。
26位で命からがらのフィニッシュだったが、序盤にもっと早くスリッピーな路面に対応出来ればもっとイイところにいったのではないかと思うと悔しい。出来るだけのことはやったが、反省点は多い。
 
 
心拍データを見る限り、ラスト1周までは北京と同じように高い心拍をずっとキープしていて、前半苦戦したものの、全開走行だったことは分かる。
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ハイナン島での心拍データ。ラスト2周でペースアップを図り、ラスト1周は手を怪我してペースが落ちているのが分かる。1時間10分以降にガクッと落ちているのは、ゴール後にスイッチ切り忘れていただけ。
 
 
 
そんなこんなで2レース無事終了。
自分としては今持っている力は出せたし、自分が予想していたより良い成績だった。
そんなこんなでレース後のアフターパーティーは超楽しく、かなりはじけておりました(どんな風にはじけていたかは覚えていませんが)
 
翌日はホテルを出発、ハイナン島は日本への直行便が無いうえ、抗日戦争絡みの軍事パレードで北京国際空港が閉鎖されていたので、自宅の到着するのは、ホテルを出て30時間後になるのでした。
 
それにしても、この遠征、本当に楽しかった。
もちろん、ただ楽しんだだけでは無く、レースも限界まで追い込み、自分に出来ることはやれた。これを今後は10月以降のレースで活かしたい。
本当に良い遠征でした。こんな素晴らしいレースに2年連続で出して頂けたことに感謝しています。
あとは国内でのシーズンインが本当に楽しみです。